宮路山城のデータ |
城の形態 |
山城 |
城主 |
乃美元信(毛利からの加勢) |
毛利側 |
同上 |
織田側 |
秀吉家臣の峰須賀正勝、黒田官兵衛(共交渉役)、宇喜多家臣の信原内蔵充 |
当時の様子 |
天正10年4月 乃美元信、城兵400人余りは宮地山城にたてこもり、秀吉家臣の峰須賀正勝と黒田官兵衛が幾度となく投降を呼びかけたが交渉は決裂。4月15日秀吉は対岸の鍛冶山城に軍を進めた。そんな中、4月25日に約2km南に位置する冠山城が落城、宇喜多家臣の信原氏が和睦を勧め、5月2日開城した。 |
城兵 |
400人 |
場所 |
岡山市足守 |
現在の状況 |
足守地区から鉄塔へ続く道はあるが、本丸までは木に覆われて不可能(2004年頃) |
備考 |
宮路山城のふもと、足守地区は関ヶ原の後、秀吉の正室ねねの兄である木下家定が治めました。関ヶ原の後、宇喜多秀家にかわり岡山藩主となった小早川秀秋は、家定の実子です。足守藩は陣屋町として栄え、現在も古きよき時代の町並みを残しています。観光名所・・・県指定の近水園、吟風閣、足守文庫(ねねのゆかりの品あり)、木下家長屋門、足守藩侍屋敷、町並み保存地区に残る藤田千年治邸、まちなみ館など |
地図 |
地図の右ななめ上、NHK中継所付近に鍛冶屋城跡があります。
高松城からのアクセス地図は、冠山城をご覧下さい。 |