ゆ か り の 地 「 忍 山 城 跡 」 
忍山城跡
 忍山城は、1578年に宇喜多直家が築き、家臣岡剛介を在城させていました。東備中の要所であり、その頃、近くの虎倉城の伊賀氏が毛利に逃げこんできた事もあって、毛利は輝元を大将に3万で忍山城を攻めたのです。
 清水宗治は、忍山城の東側(岡山市山上)で南から来る宇喜多勢に備えました。本陣は忍山城の北、現在の本陣山にあったようです。
 吉川元春の息子「経言」が忍山を攻め、宇喜多家臣岡は城に逃げ込みますが、経言は城に火を放ち、忍山城は落城しました。

アクセス
忍山城跡
岡山から吉備高原に向かう途中にあります。岡山市山上のJA足守支所(隣に青空市場)を過ぎた先にトンネルがあり、そのトンネルが貫通している山が忍山城跡です。突出した地形が、それが城跡である事をうかがわせます。