ゆ か り の 地 「 福 岡 ・ 筑 前 名 島 城 跡 」 
名島城跡
 名島城跡は、筑前国、現在の福岡市東区名島にあります。天正15(1587)年、秀吉は九州を平定すると、筑前を小早川隆景に与え、隆景は立花山城の出城であった名島城を改修し居城としました。現在は神社となっていますが、海に面し、隆景にとって良い場所であったとみられます。
 








地図が縄張り図っぽい
 名島城の名残
崇福寺唐門 名島から崇福寺へ移築したといわれている
福岡県指定重要文化財 福岡市博多区千代四丁目7番79号



名島門 福岡市指定重要文化財 福岡市中央区城内
名島の脇門を移築
 小早川隆景の造営 未訪問 宗像大社辺津宮拝殿 天正18(1590)年 福岡県宗像市


大宰府御本殿 天正19(1591)年 福岡県太宰府市宰府 国指定重要文化財



箱崎宮の楼門 文禄3(1594)年 福岡市東区箱崎

  隆景は、九州平定後、養子として秀秋に家督を譲り三原に帰るまで約8年程、筑前を治めた。短い期間ながら、九州征伐で焼け野原となった博多の町割りなどに尽力する。その間にも社寺の造営などをいくつも手掛けた。
秀吉は隆景に命じ、神屋宗湛ら博多商人を使って復興させ、その後は名護屋城の築城にもかり出す事となるが、福岡の社寺造営にも力を注ぐことで、それらをうまく運ぼうとしたのかもしれません。

箱崎宮参道に恵光院燈籠堂があり、千利休が秀吉に茶をふるまったと伝えられるお堂が移築して残っています。博多は秀吉と縁が深い町です。