ゆ か り の 地 「 光 市 」  hikari city
清鏡寺
 清水宗治の息子、清水景治は毛利と共に山口へと移ります。野原村1033石、浅江村20石、島田村28石、立野村1218石、吉部村200石、計2500石(現在の光市の一部)を領地としてもらったと「光市史」にあります。(写真右 光市内)
 野原村に屋敷をかまえ、吉祥寺を「清鏡寺」に改名して父宗治の菩提寺としました。「清鏡」とは宗治の法名で、清鏡寺は現在も光市にあり、宗治と亡くなった家臣達の供養塔が残されています。浅江村にも菩提寺をつくりましたが、現在は供養塔だけが残っています。その供養塔も風化で状態は非常に悪くなっていました。清鏡寺には備中高松城で使用されていたという「陣鐘」や馬具の「鐙(あぶみ)」などがありますが、展示しているわけではありませんので、清鏡寺へお尋ねになられたほうが良いと思います。


宗治と家臣の供養塔
 市内には「正義霊社」があり、第五奇兵隊の総督をしていた清水親春の墓があります。正義霊社は清水家の氏神で、総社の清水村の稲成神社から分けたと正義霊社の案内板にかかれてありました。
 正義霊社から車で少しのところにある「向山文庫」は、清水家の親戚筋である難波覃安が、収集した書籍などを収蔵する文庫で、一般に公開していたそうです。現在は建物だけが残っています。
 光市には、宗治ゆかりの品が多く残されています。光市文化センターでは「宗治所用の甲冑」、直筆の手紙や感謝状などを保管しており、数点展示もされています。清水家は明治になって萩から関東に移りましたが、親戚筋の難波家がこの地に残り清水家ゆかりの品もそのまま残る事となったようです。また、戦火をまのがれたのも幸いでした。2005年に岡山城で開催された「秀吉と備中高松城水攻め」展でも、光市から持ち込まれたゆかりの品が多く見られました。
宗治所用の甲冑
身持ちの事(宗治の逸話
 宗治所用の甲冑を光市文化ホールに見に行ったとき、館長さんから色々な情報を教えていただきました。語尾の長州弁がなんとも良い感じで、本当にありがとうございました、この場をお借りして御礼申し上げます。
アクセス
光市文化ホール
地図の左少し下に、「清鏡寺」も見えます。正義霊社、向山文庫にいかれる方は、光市観光協会か市役所へお尋ねになってみてください。