首塚
首 塚 kubizuka
 秀吉が宗治の首実検をした後、家臣に供養塔を石井山にあった寺宝院につくらせました。その供養塔が「首塚」と呼ばれています。
 首塚は長く石井山にありましたが、不便な石井山より宗治の城であった高松城へ移してあげたいという地元の働きかけにより、明治42年本丸に移されました。
 この首塚の石は、4つの石を積上げた不思議な形をしていますが、資料館で聞いた話では、当初は正しい形だったものが、長い間にいくつかの石が紛失した為、現在の姿になったようだということです。1つの石には宗治と兄月清入道の姿が刻まれており、その後宗治を偲んで造られたものでといわれています。
 毎年6月の第一日曜には、首塚の前で「宗治祭」が地元保存会によりとりおこなわれています。