備 中 七 城 「 日 幡 城 」
毛利縁者の裏切りに、小早川隆景激怒
左/全景 中/碑 右/登城口付近
 
日幡城のデータ
城の形態 平城
城主 日幡景親(寝返った上原を討とうとして逆に討たれ死す)
毛利側 大森蔵人(景親の弟だが、上原に内通していた)→織田方
上原元祐(秀吉に内通し景親に寝返りを勧める 元就の娘婿)→織田方
織田側 花房職之 戸川秀安(共宇喜多家臣)は日幡家臣の上原に寝返りを勧める
当時の様子 秀吉は、毛利加勢の上原に密書を送り寝返らせました。秀吉に内通した上原は景親に寝返りを勧めます。景親は上原に「あなた(上原)は毛利の加勢であり、毛利家の縁者であるのに残念な事である」と上原を諌めましたが聞き入れないので、討ち果たすべく本丸に行こうとしました。しかし、景親の弟大森蔵人が上原に内通していた為、逆に上原に切られ、上原は秀吉勢を城中に引き入れたのです。ところが、元就の娘婿(=隆景の義兄弟)の寝返りに怒った小早川隆景が家臣楢崎忠正に城をすぐに奪い返させ、上原の妻は助けられて毛利陣に入ったといわれています。
城兵 -
場所 倉敷市日畑 (足守川の西側堤防沿)
現在の状況 道路脇に「日幡城跡」と書いた石碑があります。裏が城跡。一部古墳を利用した造りだそうです。東に足守川があり、川を利用した縄張りになっています。
備考 秀吉が上原に宛てたと思われる密書が残されている。
地図 足守川の堤防沿、日畑・西山地区にあります。岡山市と倉敷市の境辺り。加茂城から南に1キロ程の場所に位置します。西側に山続きで縦築遺跡などがあります。