Bitchu瓦版  2011.04.29
パネルディスカッション
「岡山の礎を語るー宇喜田家から池田家へ」

主催:岡山歴史研究会
場所:さん太ホール
歴史から学ぶこと・・・

 岡山歴史研究会の総会後に開かれたパネルディスカッションに行ってきました。一般もOKだったのですが、配布資料がなくなるほどの人気がありました(終了後に全員に配布)

 パネラーは
清水男氏、関が原で宇喜田秀家をかくまった矢野五左衛門の子孫 矢野紀雄氏、遺跡の発掘をされている岡山市教育委員会文化財課 乗岡実氏、岡山後楽園や内田百聞の研究者 万城あき氏の4名と、コーディネーターの歴史研究会の天野勝昭会長で勧められました。
 最初にパネラー4名の発表。男さんは清水宗治、ご先祖である月清入道のお話をされました。今日は奥様がお手伝い。次の話は驚きました。男さんは奥尻島の大津波があった後、歴史から見た津波研究をされたのだそう。知りませんでした。
 2009年1月7日山陽新聞夕刊「一日一題」に連載されたのは、東南海・南海地震についてです。徳島県の旧家に4回の地震の記録が残っており、最初の地震では3700人が津波で亡くなったが最後の地震の時は8人、津波から救う防災システムが当時出来たと考えられるが、明治維新以降、古い記録は人々から忘れられてしまっているという懸念もお話されました。

 淡路島があるから大丈夫というひともいるけれど、連動地震が起きた時、瀬戸内海の両側から波が来てぶつかるのは岡山かもしれないとも言われ、会場の人も熱心に耳を傾けられていました。


 2年前に書かれた「一日一題」、もし一読されたい方はご連絡下さい。すばらしい内容です。
 東北地方では、先人が子孫に残した石碑や津波石、浸水区域を避けるように作られていた街道や宿場街が震災後クローズアップされました。歴史から学ぶ事は教訓や行き方だけではないと深く思ったディスカッションでした。

備考:記録はメモのみで、内容に間違いがありましたら私の聞きとり不足です。ご勘弁下さい。