益田元祥ゆかりの地、須佐・益田を訪ねての巻         2004.5.2
須佐町
益田館

益田市
医光寺

益田氏館跡
 予報ではあいにくの雨。山口行きをキャンセルし、日帰りの山陰への旅となりました。浜田道を浜田まで、益田を抜け日本海沿いを須佐へ車を走らせます。初夏ということもあってとても良い季節。海もすんばらしくきれいです。
 益田元祥は、清水宗治の息子景治が萩藩でお世話になった人、関ヶ原では吉川氏に従い、毛利軍を動かさない家康との蜜約に関わったと噂される人物でもあります。家康から認められ石見を与えるという誘いを断り、毛利家の永代家老となり、益田からここ須佐(山口)へ移りました。
 まずは益田の資料館へ、ここは須佐の益田氏の館があった場所ですが、現在は資料館と、一部当時の建物が残されています。益田家のゆかりの品、甲冑、掛軸、器、ギヤマンのグラス、漆塗りのお重等が展示されていました。近くの益田家の墓所に立ち寄ると、須佐が一望の場所でした。大きな五輪塔がならべられていましたがほとんど同じ大きさなのが不思議でした。
 須佐駅の近くの「梅の葉」という店でイカとアジのまかない丼を注文、目の前の水槽では、イカがフヨフヨ泳いでいます。1100円。
 益田市に引返し、医光寺にある益田氏の居城、七尾城から移設した門を見に行きました。二階建ての家くらい高さがあり、かなり大きな高麗門。無骨ですが、飾りは繊細でした。時間がなかったので近くの館跡を見学し(公園と道路、私有地です)そこから七尾城跡を見ました。
 益田元祥は家康に誘われ、断り、毛利の負債を返し、すごい人物ながら人物像はあまりみえてこないんですよね。このイカ元祥も食べたカナ?そんなことを考えながら旅した、石見益田、須佐の旅でした。

 益田歴史民俗資料館・益田館・・・300円、
 写真・・・左 須佐の海 中 益田医光寺の七尾城の移城門 右 イカとアジのまかない丼